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ものを書くということ。 [呟き。]

柳瀬由月さんのサイト、sound lifeのブログ(下記リンク)を見て、言いようのない悔しさというかやり切れなさというか。
ttp://meikyou.blog23.fc2.com/blog-entry-787.html
そういうものを感じたので、ちょろっと。


最近のネットの普及はめざましくて、五年前なら常識だったことが常識として通じなくなったようです。少なくとも、柳瀬さんに宛てられたメールは、内容からして無記名メールもなしで出していい類いではないと思います。HNでかまわないんです。そうでなければ、「誰か解らない相手」に対する感情になってしまい、その対象はサイト閲覧に来てくださる方全員に及びます。親しい相手かもしれない、いつも感想を送ってくれる誰かかもという恐怖まで、抱かされるのは、たいがい年食ったオバサンな私でも勘弁願いたいです。
しかも、たとえ本人が「質が劣る」と言っていることを差し引いても、人の書いた文章を捕まえて「ジャンク」呼ばわりはあり得ません。自分でジャンクと言っているなら別ですが、ものを書くというのはそんなに生易しいものではありません。もちろん、軽いテーマの小文であればそれほど気負わず書ける、長編調査ものなら下練りから最低一ヶ月はかかるという差は別です。柳瀬さんが「気合いが違う」とおっしゃっているのはそういう意味で、それは、文章の性質の問題です。現在進行形で「萌え」を絶叫する文章なら勢いで書けてしまうでしょうが、それだって表に出すならよほど吟味が必要です。(私はいわゆる「萌え」で突っ走れるタイプではありませんが。)人目にさらすなら、物書きと自称するなら、文章に妥協はできません。
たとえ、これは要らない、と、文章を削除するときでも、その「物語」に必要ないという判断でも、文章としては心血を注いでいます。何度も推敲を重ねて残った文章です。これを削除するのは、とても辛い作業です。
書き手側の苦労など、ネットで閲覧する皆様には関係はありません。
ただ、ジャンク、ジャンク部屋を作っていれたらと、一言で片付けられては、書く側は困惑せざるを得ません。ジャンクと言う判断は、書く側ではなく、読む側がされているんですから。
それから。
ネットであるからして完璧な文章は期待していない、という点について、一言所見を。
ネットだろうがどこだろうが、完璧な文章などというシロモノは世の中には存在しないと思います。あるとすれば、せいぜい「聖書」「教典」といった聖典でしょう。信じる人にとっては絶対の文章ですから。自分が完璧などとは、それこそ地球が静止しても思いませんが、軽々しく「完璧」とか「ジャンク」とか、そういう極端な言葉を、気軽に向けないでください。どんなに重い言葉なのか、調べてみてください。
私たちは、一つの文章を書くために、数十、百のことばを検討します。それが、言葉の持つ力であり、それを書くということだと思うのです。
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